JR尼崎脱線事故にみる組織の責任

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今日、4月25日でJR尼崎脱線事故から12年となりました。

いつも乗っている路線での事故で、当日の朝もその路線の電車に乗って会社に行っていました。

第一報を聞いたときはただの踏切事故程度に思っていたのが、ネットニュースで写真を見てあまりのことに言葉を失いました。

その後友人や親せきから私の安否を気遣うメールや電話がたくさん来ました。

たまたま乗り合わせた人たちと自分には違いは無い

直接の知り合いには乗り合わせた人がいませんでしたが、周りの人の知り合いには亡くなった方も何人もいました。

いつもは徒歩通学なのにたまたまその日は学校の遠足で現地集合のために電車に乗った高校生

いつもは後ろのほうの車両に乗っているのにたまたま友達に会ったから一緒に一両目に乗った学生

出かける際に息子から車で送ろうか?と言われたのに、電車のほうが確実に着くからいいわと断って電車で出かけたお母さん。

いつもはその電車に乗っていたのに、たまたま自分の乗りたい運転手後ろの場所が空いてなかったから事故にあった電車に乗らなかった電車好きの男の子。

いろんな人の話を聞きました。

事故にあうかどうかはたまたまの違いだけです。

私もその電車に乗っていたかもしれません。

死ぬことがすぐ隣に感じられた日でした。

事故の原因は何だったのか

運転士も亡くなってしまったので、本当の原因はもうわかりませんが、運転士は今までに何度かミスをして懲罰を受けていたと報じられています。

事故当日も前の駅でオーバーランをして、電車を遅延させそれを取り戻すかのように速度超過をしたことが脱線の原因とされています。

自分のミスを取り返すために安全を軽視したことは運転士としての資質に問題があったのか、ミスに懲罰で対応する組織に問題があったのか。

Do the right thing

あの日あれだけの事故で他の電車が突っ込んで二重事故にならなかったのは近所の方が踏切の非常ボタンを押したことで回避されたと聞きました。

また、それを受けた走行中の電車の運転士もJRからの命令はまだ来ていなかったが自分の判断で緊急停止をしたとのことでした。

近所の会社の人たちは自主的に災害の救助に向かいました。その後PTSDに苦しんでいる方もいるそうです。

この人たちは自分の都合よりも正しいことをすることを優先した人たちです。まさにDo the right thingです。

自分も人としてこうありたいと思っています。

怒られたくないという価値観

以前いた職場で、経営陣が非常に感情的で高圧的な会社がありました。何かミスをしようものなら人格を否定するようなしかり方をし、その後も気に食わない相手には何かとつらく当たっていました。

社員の中には価値基準が怒られたくない、嫌われたくない、になってしまう人が多くいました。そして、みんな他の人が信用できずいじめや派閥が横行し金銭面での条件は良いにも関わらず退職者が続出しました。

また、別の会社ではミスをしたらもちろんミスに対しては大いに叱りますが、それよりもそのミスを取り返すためにどうすれば良いか、対応策を上司が指導していました。

その会社では活発に意見が飛び交い、部署を超えてみんな良好な関係で仕事をしていました。退職者のほとんどはキャリアップを図る転職です。

価値観が怒られたくないになってしまうとミスを隠蔽したり、新しいアイデアを発言しなかったりと後ろ向きの勤務態度になってしまいます。もちろん、個人の資質は大いに関係しますが、組織のトップの考え方が大きく影響します。

尼崎脱線事故に関する裁判では歴代3社長が業務上過失致死傷罪で強制起訴され、一、二審ともに無罪となっていますが、まるで責任がないのでしょうか?

もちろん社長個人に自己のすべての責任があるとは思いません。あれだけの沢山の路線の電車の事故すべてを予見できるわけがないからです。

でも、安全を最優先にしなかった組織を運営していた責任は企業のトップにこそあると思います。これを裁判で何かの罪に問うことは難しいですが、JRだけに関わらず、組織を運営する方すべてに心にとめておいてほしいと思います。

最後に

今も毎日電車で事故現場を通ります。

つい最近までは事故で電車が突っ込んでえぐられた場所がそのまま電車から見えていました。

友人を亡くした知人は未だにその路線に乗るのを嫌がります。たとえ乗っても常に反対側の窓からしか外を見ません。

世間では忘れられていく事故かも知れませんが、ここに住む人間は忘れていません。忘れることができません。

毎年4月25日には塚口ー尼崎を走行中に追悼のアナウンスがあります。どうか忘れないでください。

私も、電車が遅れたときにイライラしてしまうこともありますが、多くの人の安全にかえられません。この日を迎えるたびに自分本位の考え方を反省するようにしています。

正しいことをすることを恐れずにいようと思います。

最後に、事故で亡くなった方に哀悼の意を表します。また、今も心と身体の傷に苦しんでいる方、そしてその方々を支える周わりの方に心からお見舞い申し上げます。

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